東日本大震災で被害のあった宮城県本吉郡南三陸町では、
特別養護老人ホーム慈恵園でもお話を伺いました。
元の施設が海抜15mの高台にあり、内陸部であるにも関わらず、
津波の想定10mを超え平屋の天井まで浸水して被災されました。
建物は一部壁に亀裂が入る程度でしたが、浸水によって亡くなった方もおられます。
現在の再建した施設は更に内陸部にあり、祭りや消防訓練の際、
一緒に住民の方が来て参加して、新たな地域住民との交流を深めています。
このような交流が、現在土石流の警戒区域に入っている施設において、
避難指定場所へ搬送方法の問題等で協力が得られるのではないかと考えます。
1995年の阪神・淡路大震災の時、西宮市社会福祉協議会が運営する
障害者通所施設青葉園の利用者には一人の犠牲者も出ませんでした。
青葉園では、施設外で暮らす時間の方が、施設にいる時よりもはるかに長い故に、
障害児・者が近隣の地域住民から社会的に包摂されて暮らしていくことを推奨し、
普段からのつながりがありました。
このつながりが非常時に障害者の命を守るために発揮されたと考えられます。